忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

期待は軽く、信頼は重い

 

 先日もまた、今や偉くなった昔の上司に会議の場でこれはどうだあれはもっとこうならないかと詰められました。

 いや、まあ、相通じ合っていて遠慮もなく丁々発止ですし、敵意ではなくむしろ元部下への親愛がありますので、こちらとしても怖いとか苦しいとかのネガティブな感情が沸き上がるわけではないのですが。

 ただ、手の内がバレているので駆け引きが通用しないと言いますか、このレベルなら求めても問題無いだろうといったギリギリのラインで的確にダンスされるので逃げ道が無いと言いますか、まあ率直に言えば仕事が増えるので大変です。

 上から理解されないよりはマシですが、ほどほどにお願いします。

 

期待と信頼

 会社で期待されているかと言えば、なんとも難しいところです。

 上からは時々「期待しているぞ」と言われますが、それって実態のある言葉ではないじゃないですか

 それが事実かどうかは確かめようがありませんし、口にしている当人だって期待を何かしらの形で捉えているわけではありません。ある種の定型句として使っている人もいるでしょうし心の底から他者へ期待している人もいるでしょう。「期待」を上が口にすることで正負どちらかの心理的な効果が下に生じることは事実ですが、上が心の中で本当に期待していようが実際は期待していまいが実態の無いものです。

 

 よって私としては期待されたいとそもそも思っていません

 求めるのは期待の言葉ではなく信頼です。

 

 期待と信頼は似て非なるものだと言えます。

 期待は実態の無い言葉だけのものです。だからこそ人によっては気軽に部下へ与えます。

 対して信頼とは実態のある行動を伴います。責任ある仕事を任せたり、一定の権限を与えたりする行為が上司から部下への信頼の表れであり、信頼とは言葉で伝えずとも行動から表出するものです。

 信頼とは期待の先にあるとも言えます。信頼の無い期待は存在しますが、期待の無い信頼はそうそう存在しません。

 私は口先の期待ではなく地に足の着いた信頼こそを求めます。

 

結言

 信頼は実績によって醸成されます。

 信頼は期待を生み、その期待へ実績で応えることでさらに信頼が強化される、信頼とはそのような循環で育てられるものであり、積み立てに時間が掛かるものです。

 よって私が上から信頼されるためには私が結果を出し続ける以外ありません。

 大変ですが、まあ無いよりはあった方が私が生きやすいので、頑張って積み立てます。

 幸い、今のところは適度に信頼されているとは思います。

 冒頭の話でも、仕事の質をさらに高めるよう求められるのは過去の実績から生まれた信頼に基づいて生じた期待によるものだと言えるでしょう。

 

 でも、信頼はして欲しいですが、期待はほどほどにしてもらいたいです。青天井に信頼を積み上げることを期待されても、度が過ぎれば破綻しかねませんので。