先日、「試験をして確認した範囲でなければ保証できません」と言われました。
技術者がやる試験の意味をはき違えているとしか思えないため、技術者が持つべき試験の捉え方について書きます。
技術者の仕事は試験をすることではなく、設計品質を保証することです。
そんなテーマで技術者としてハッキリ述べたいため、ちょっと強めの常体で書いていきましょう。
試験の目的
先日、製品の保証範囲について技術者と議論があった。
大雑把に言えば、
「この製品は100℃での使用を謳えるか」
とした疑問に対して、技術者からは
「この製品は100℃で72時間の耐熱試験を実施したため、その範囲でならば保証できる」
「実用条件で100℃を謳えるかは、実用条件で試験をしていないから保証できない」
と回答があったことがキッカケだ。
要するに「やってみなければ分からない」「試験した範囲でしか保証できない」と技術者は言っている。何を思ったのか、「試験時間の範囲であれば保証できる」とまで言い出した。
じゃあ何のために耐熱試験を実施したんだ、と声を張り上げたい気持ちをグッと堪える。
技術者の行う試験は、それが直接、設計品質を保証するものではない。
試験とは仮説を検証するための確認であり、その結果をもって直接品質を保証するものでは決してない。
そもそも試験をしたとしても確認できるのは「そのロット」の「その試験サンプル」のみであり、材料や工程の統計的なばらつきを考えれば試験結果が直接製品保証にならないことなど基本である。
10年保証の製品は全て10年間試験をしなければならないのかと問えば簡単な話で、当然そんなことはしない。製品の劣化メカニズムをモデル化し、過酷条件で加速試験を行い、設計マージンと安全率を考慮して年数を保証するものだ。
温度保証も同じであり、「72時間の試験をしたから72時間は保証できる」とした結論はありえない。温度によって製品がどう故障するかを検討し、その仮説を検証するために行うのが温度試験である。
実用条件は連続であり、離散的な試験で直接保証できるわけもない。試験結果から統計と工学を用いて保証範囲を推論するのが技術力だ。
「やってみなければ分からない」「試験した範囲しか保証できない」のであれば技術者など不要である。アルバイトを雇って、何も考えず、ひたすら実使用条件に合わせて無限に等しい組み合わせで試験を行えばいいだろう。
もちろん「やってみなければ分からない」ことは多々ある。
しかし頭を使ってその範囲を最小化して試験条件に落とし込むのが技術者の仕事だ。
温度試験ひとつ取っても、どの部品が温度によってどう変化するかを考え、温度勾配や化学的な影響やクリープなどを考慮した上で必要な温度条件を絞り込むのが仕事であり、ただ適当に温度をかければいいわけではない。
保証の意味
保証とは、それが問題ないと確約し、責任を持つことである。
すなわち、技術者が「仕様を保証する」とは、その製品が取り決めの範囲内で如何なる条件で用いられたとしてもその性能を維持することを確約し、責任を持つことである。
その意味を正しく理解していれば、その仕様を保証するためにはユーザーの使い方や使用環境など考えられる限りの悪条件を踏まえた上で試験を行い、それでも問題ないことを検証するだろう。少なくとも、ただ温度試験をしただけで品質保証ができないことは保証の意味を理解していれば分かるはずだ。
もっと言えば、「検査」と「試験」は別物である。
試験とは、特性や劣化メカニズムを明確にし、モデルを構築して保証範囲を推論するためのデータ取得が目的であり、試験結果そのものが保証ではなく、保証の根拠を作るための技術的推論の材料だ。
対して検査とは、その製品や部品単体が規格を満たしているかの合否を確認するだけの行為であり、保証範囲を検討するための推論とはならない。
「試験した範囲でしか保証できない」とした見解は、「検査」と「試験」を明らかに混同している。
大仰な話ではあるが、「試験結果が製品品質を保証する」とした誤解こそが昨今の品質不正を招いているとすら言える。
「監査の時だけスペシャルサンプルを作って合格させた」「認証の時にデータを弄って誤魔化した」
そういった品質不正は、品質保証の意識があれば起こり得ない。監査や認証で行われるのはただの"検査"であり、"試験"ではないからだ。
誰がいつどう作ってどう使われても規格を満足することを確約する行為が"保証"であり、"検査"を通れば問題ないと判断する誤解こそが諸悪の根源である。
結言
当たり前のことですが、組織は人が入れ替わるものであり、適切な教育を施さなければ技術力は低下します。
途切れの無い技術伝承を続けていくことだけが品質を維持する最短の方法です。