忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

歳を重ねても謙虚であり続ける方法の模索

 

 教養があり心が豊かな人は、謙虚です。

 或いは、謙虚な人は教養があり心が豊かだと見られます。

 

 とはいえ、高齢になっても謙虚さを維持することは非常に難しいのではないでしょうか。

 もちろん歳を取っても謙虚な方はたくさんいらっしゃいますが、三十四十程度であればまだしも、六十七十にもなれば積み重ねてきた知識や経験は間違いなく若輩を超えているものであり、歳を重ねることで人から謙虚さが損なわれるのは必然的な現象だとすら思えます。

 

 個人的な願望として、謙虚さや教養の獲得可能性は単純な性格の問題に帰したくありません

 それでは希望が無さすぎるためです。

 きっと誰しも、そしていくつになっても、謙虚さや教養を身に付けることができると信じています。

 

 そんなわけで、年齢的にはちょっと気が早いですが、老後を見据えて謙虚さを維持する方法を考えます。

 今の私が謙虚かどうかは、ノーコメントで。

 

教養≠知識量

 当ブログでも度々述べてきましたが、「教養=知識量という誤解」はまず解消しておかねばなりません。

 教養とは「知識の量」ではなく「知識の使い方・態度・視点」を指す概念であり、<文化><品位><心の豊かさ><知的姿勢>といった表現に類する言葉です。

 極論、知識量を教養と呼ぶならば、GoogleやYoutubeが世界一の教養人となってしまいます。もちろんそんなわけはなく、本来的な教養とは不可算で非定量的な概念です。

 

ニワトリとタマゴ

 深い教養を身に付けると世界の複雑さや自らの無知の広さを痛感するようになりますので、人は謙虚になります。「無知の知」に近い心境と言えるでしょう。

 学べば学ぶほど自分の知らない領域が見えてきますし、他者の専門性や経験の価値も理解できることから自分の意見が絶対ではないと自然に思えるようになります。

 この意味で、「教養は謙虚さを生む」ことは事実です。

 

 しかし同時に、そもそも謙虚でないと教養を身に付けられないとも言えます。

 教養を身に付けるためには自分が知らないことを認めて他者から学ぶ姿勢を持ち、自分の考えが間違っている可能性を開明的に受け入れる必要があるためです。

 つまり、「謙虚さが無ければ教養は身に付かない」ことも事実となります。

 

 要するに、教養と謙虚さは相互に強化し合うループです。

 謙虚さが教養の入口を開き、教養が謙虚さを深化させるのであり、「謙虚さをもって教養を学ぶ習慣」こそが老成円熟の秘訣かと考えます。

 

謙虚であり続ける方法

 最後に、謙虚さを維持する仕組みや方策を考えましょう。

 謙虚さは一言に性格だと認知されがちかと思いますが、実際には非常に可変的なものだと考えます。

 ある場面では謙虚でも別の場面では傲慢になる人もいれば、年齢や立場によって謙虚さが変化することもありますし、他者との関係性によって揺らぐこともあります。なにより、先に述べたように謙虚さは教養によって変化する以上、単純な"性格"というよりは"状況と認知によって変化する態度"と捉えたほうが正確でしょう。

 つまり、謙虚さは認知次第で習得・維持することが可能なスキルです。

 よって謙虚さを維持する年齢に応じた方法を考えて身に付けることが恐らく可能だと思われます。

 

 謙虚さを身に付ける方法を探してみると、「それは元々謙虚な人だからできるんじゃないか?」と思うような方法がたくさん見つかります。

 それでは本末転倒ですので、もっとシステマチックに謙虚さを手に入れるやり方を考えてみます。

 

 まずは自らのメタ認知を知る訓練が必要でしょう。

 例えば、以下のような項目。

  • 最近学んだこと、知らなかったと気付いたこと
  • 自分の判断が誤っていたケース
  • 他者の視点で理解できなかったもの
  • それらから推測できる、自分の盲点や誤認

 これらを書き出す習慣を作れば、「自分は常に部分的にしか物事を理解していない」とした謙虚さの前提が身に付くと思います。

 

 次に対話プロトコルの徹底です。

 自身の無知を学ぶためには他者との対話が最も効果的ですので、積極的に他者と対話をし、その際に次のようなプロトコルを徹底してみると良いかと思います。

  • 「私の理解では」「私はこう思うのですが」と、断定を避けて意見を暫定的にする
  • 「あなたの意見はこの点が優れている」と、相手の知識を先に評価する
  • 経験を一般化せず、「私の場合はこうだった」を一切言わない
  • 「あなたはどう考えますか」と、とにかく質問を優先する

 内心でどう思っていても謙虚に見えるプロトコルを徹底していれば、それが習慣化していくでしょう。

 

 人間関係も当然考慮する必要があります。

 人は一人では謙虚になれません。謙虚さとは人と人の関係性から生じるものなのですから。

  • お手本になる謙虚な人を探す
  • 率直に指摘してくれる人と縁を繋ぐ
  • 年下の人から学ぶ機会を意図的に作る
  • 異なる専門性を持つ人と対話する
  • 学生のように”評価される側”に身を置く

 外部の目を上手く用いて謙虚さを測定しましょう。

 

 もっと大掛かりに、環境や状況自体を変えてしまうのも手です。

  • 自分より優秀な人が多いコミュニティに所属する
  • レベルの高い難解な書籍から学ぶ
  • 専門外の領域を新たに学習する

 ここまでやればもはや謙虚にならざるを得ないでしょう。

 

結言

 「謙虚になりたい」と思う気持ちがあれば、それがすでに謙虚なのではないか。

 とはいえ、「謙虚になれる」と思う気持ちは、謙虚さからかけ離れていやしないか。

 謙虚さとはなんとも難しいものです。