それが絶対的に悪いことだとは言いませんが、万能な政府とは、つまりは強権的で独裁的な政治権力ということであり、個人的にはさほど魅力的ではないと思っています。
原材料不安におけるメーカーの流れ
誰もがニュースでご存じのように、ホルムズ海峡封鎖に伴う原材料不安により様々な製品・サービスで生産調整や材料変更が進められています。
これ自体はメーカーとして当然の対応です。
まずはメーカーの基本的な流れを説明しましょう。
原材料供給に不安が生じた場合、まずは『購買』・『調達』系の部署が忙しくなります。『購買』にとっては「資材を、適切な品質で、適切な価格で、適切な納期で手に入れる」ことがプロの仕事である以上、彼らは方々に手を伸ばして原材料を確保しようと奔走するものです。
それでも限界はありますので、その後は『計画』が材料の入手状況に合わせて計画の線を引き直します。生産ラインは基本的に長期間止められません。利益を生まない設備や材料は企業として保管し続けられませんし、仕事が無ければスタッフも維持できず生産技術が失われるためです。
そのため、供給不安が長引きそうな場合は生産を絞る方向にします。材料の在庫が切れてバッタリとラインが止まるほうが問題ですので、『調達』が材料を安定して入手できるようになるまでの時間稼ぎとして、細くなろうとも材料の使用量を減らす方向を取ることが自然な流れです。
合わせて、『設計』や『生産』系の部署が色々と頑張ります。使用材料を変えたり、材料消費量を減らす変更を考えたりして、なんとか生産を継続できるように創意工夫を行うことも彼らの仕事です。
余談ですが、『品証』系はその間ずっと忙しいです。量産品における品質保証の基本はコピーイグザクトリー、すなわち「何も変えずに完全な複製を作る」ことであり、『調達』がいつもと違うところから材料を買ってきたり『設計』や『生産』系の部署が色々と手を加える度に仕事が増えて、てんてこ舞いになります。
細部は分野や企業規模によって異なりますが、概ねこんな流れです。
自由主義国家における民間企業の自由意志
つまり『購買』の手に負えないレベル、それこそホルムズ海峡の封鎖なんて国家レベルの問題によってある程度長期の原材料供給不安が生じた時点で、必然的に何らかの変化が生じます。生産量が減るか、製品に変更が生じるか、少なくともそのどちらかは必ず起こると言っていいでしょう。
これは一般的な企業判断であり、リスク回避として当然の意思決定です。
繰り返しとなりますが生産ラインを止めるほうが問題です。
「材料供給に不安があるからちょっと一か月くらい止めるかー」
なんて軽い気持ちで生産を止めたら元の品質レベルへ戻すには年単位で時間が掛かってしまいますし、
「供給リスクは多分すぐに解消するだろうから、同じ生産量を維持するかー」
なんて危険な選択を取る理由もありません。
もちろんリスクオンするメーカーも無いわけではありませんが、メーカーはどこも大所帯で、たくさんの従業員とその家族の生活に責任を負っている以上、基本的には安全サイドへ寄せる選択が取られます。
企業としては当然のリスク回避であり、分野や在庫量にもよりますが、工員のシフトや生産計画の都合から供給不安が明確になってから一か月後くらいには何らかの意思決定が下るとみていいでしょう。
そして新たな原材料開拓やサプライチェーンの構築はどれだけ国家レベルの力で動いても一か月で決められるものではありません。
つまり、どれだけ政府が迅速に動いたとしても、ある程度長期の原材料供給不安が"生じた時点"で、市場で製品が品薄になったり何らかの変更が生じるのは必然です。『購買』による原材料の取り合いや物流の目詰まりすら関係なく、供給不安が解消されたとしても生産が絞られた期間分の品薄は絶対に生じます。
これは民間企業が安全のために意思決定をした結果であり、誰が悪いわけでもありません。
今回のホルムズ海峡封鎖においても、長期化することが分かった時点で品薄や変化は避けようが無かったと考えます。生産計画は年単位で調整しますので、半年後に材料があるか不安であれば、半年後に生産を止めるのではなく半年間の生産を均すものです。
これを平準化と呼びます。
政府のパワーと介入の度合いについて
製品の品薄に対して「政府は何をしているんだ」「なんとかできないのか」と言いたくなる気持ちは分かります。
しかしながら、それは「政府が民間企業の営利活動へ口出しできる権限を持つべきだ」と言っているに等しいです。
「供給不安があったとしても、たとえそれが長期化し、ラインが止まって倒産することになるリスクがあろうとも、とにかく今は生産量を維持しろ、リスク回避などするな」
と政府が企業を脅迫しろと求めているようなものであり、そんな強権的で独裁的な政治権力を政府に持たせるようなことは自由主義・民主主義の国家として望ましくないと私は考えます。
補償金を出すにしても国会での予算審議無しに政府が出費を約束できるようではやはり独裁的ですし、国が何らかの形で民間の自由を束縛するこの方向性は、どう擁護しても極めて強権的な政府でなければ成り立たない発想です。
そこまで政府に万能なパワーを与えて民間に介入させるほうが国家としてよほど危険ではないかと考えます。
権威主義・家父長制(パターナリズム)
コロナ禍におけるロックダウンについても世論が揉めたように、政府へ強権を与えるかどうかは時々議論が巻き起こります。
そしてつまるところ、それは自由主義と権威主義の対立です。
政府へ万能を求めるのは権威主義の側であり、同時に一種の家父長制(パターナリズム)だと言えます。
それが悪いわけではありませんが、私は基本的に自由主義と民主主義を好んでいるためあまり同意できません。
「政府は何をしているんだ」と言いたくなる心理の説明として分かりやすいのは"不安の外部化"や”責任の回避”です。制御できないレベルの外的なショックが起こった時、人は責任を外に置きたい、誰か別の人に責任を負ってもらいたいと考えます。
その分かりやすい典型的な対象が政府です。
つまり本心から強権的な権力を政府が持つことを望んでいるのではなく、“自分が判断や責任を負わなくていい庇護される世界” を内心で求めているため、政府が家父長のように振る舞うことを期待します。
そもそも危機的状況下で不安や不確実性が高まるにつれて権威主義的傾向が強まり「強い指導者」や「強い政府」を求めるのは、政治思想の別を問わず一般的な現象です。保守派であればより強い保守性を、リベラル派であっても権威主義的・家父長制的なパワーを政府へ求めるようになります。
私は小さな政府を志向するタイプのクラシカルな自由主義者なので、政府へ強権を与えることにはあまり賛同できません。
ちなみに、「政府へ強権を持たせろと主張しているわけではない」が「政府は問題を解決すべきだ」と考えるのは、問題解決するだけの権限を与えずにやれと責め立てるイジメっ子の発想であり、非常に宜しくない性格となるので注意が必要です。
結言
国家の戦略物資の管理について政府を批判するならば分かるのですが、市場についてまで国家の責任を問うようなことはなんともグレーゾーンです。
少なくとも”民間企業の生産を管理できるような権力”は戦中の”配給”と同じであり、そのような強権を政府へ与えるのはあまり宜しくはないのではないかと考えます。