労働時間の短縮は人類全体の夢。
余暇を増やし安全を高めることこそが人類全体の至福。
だから、それが理想の状態にまで到達していないのは「制度」や「理念」の問題ではない。
ただ、「技術」の問題である。
労働時間の一律削減は格差を悪化させる
『イギリスでは仕事が減っているため若者が就職できずニートが増えている』というニュース記事に対して、次のようなコメントを見かけました。
「安く長時間働かせて利益を出す奴隷労働前提の資本主義は限界」
「週に15時間程度働いたら暮らせるようになればいい」
まあ、ニートの記事で資本主義批判をする意味は良く分からないですが。
なにせニートが存在するのは資本主義の弊害ではなく恩恵です。競争の”歪み"ではありますが資本主義で成し得た成果でもあり、他の経済システムではそもそも働かなければ生きていけません。資本主義がもたらす社会的な富と貯蓄があるからこそニートが存在できています。
それはさておき、労働時間を減らすのは一見良さげに見えます。仕事が減っていても、それを皆で分け合えば労働参加率は高まりニートは減少するのですから。
問題は、労働時間と報酬の相関は弱いことです。
短時間で充分な収入を稼げるのは資本家かベテランの年長者であり、低スキルで資本の無い若者は時間を売ることで収入を得るしかないため、単純に一律で労働時間を減らすと世代間格差は拡大します。
労働内容によっても差が出ます。
誰もが週15時間の労働で充分な収入を得られるようになればそれは素敵なことですが、労働集約型の仕事ではそうもいきません。投入時間と成果物が概ね比例する仕事は必ず残ります。例えば週15時間労働だと農業で生計を立てるのは難しいです。対して、投資や為替取引であれば上手くいけば可能です。
つまり、『週に15時間程度働いたら暮らせるようになればいい』とした主張は、資本主義による労働観を批判しているように見えて、実のところ凄く資本主義的です。労働時間と報酬の天秤が最もかけ離れた仕事とは、まさに資本とレバレッジで稼ぐことなのですから。
或いは「市場原理を破壊し、スキルも年齢も責任も仕事内容も問わず、とにかく週15時間働いていれば十分生活できるお金を万人に与えるべきだ」といったベーシックインカムや共産主義的な発想かもしれませんが、それによって生じる財源問題・エネルギー問題・労働供給問題・インフレ問題は今の技術力では解決できないでしょう。
せめて医療・介護・物流・インフラ・食料生産・製造・保育・教育・公共サービス辺りが完全自動化・コストゼロにできるほど高生産性社会にならないと難しいと思います。これらは労働時間と成果物が概ね比例する分野であり、全て機械化するくらいは必須です。そしてそれを実現できる社会は資本主義的な効率化の先にしかありません。
高生産性を実現する前に先行してお金を配れば失業率の高止まりが避けられず、それによって割を食うのはやはり若者となります。
結言
労働時間は少ないに越したことはありません。
それは誰もが思っています。
それなのにまだ実現の途上なのは、仕組みや思想の問題ではなくただただ単純に技術不足が原因です。
つまるところは技術開発と資本投下が鍵です。
古代中世に比べれば総労働時間は短くなってきているはずですが、もっと、さらに、今よりも労働から人類が開放されるよう頑張っていきましょう。