第二次産業に所属するバリバリの工学屋であるところの私としては、経済発展・経済成長ドンと来い、成長こそが繁栄だ!という資本主義的価値観が否応なしにベースでありはするのですが、昨今世間の議論の遡上に上がっている脱成長という考えにも理解を示しているつもりです。
当たり前の話ですが、無限の成長には無限の資源が必要であり、そして地球の資源は有限です。人類はどこかでブレーキを掛けるか、突っ走って崖の下まで落ちるか、運を天に任せて宇宙まで飛び出すか以外選択肢は無いでしょう。人類のチキンレースにおけるそのブレーキこそが脱成長という発想だと考えます。
一つの疑問
ただ、理屈は分かっているのですが、一つ疑問がありまして。
それをどう実現するのだろう?
環境、資源、格差、その他現代の様々な問題に対して脱成長を実現すれば解決できるという話はたくさん目にしますし、それらにはとても説得力があります。確かに脱成長が実現できれば人類は皆ハッピーになれるかもしれません。
ただ、その実現方法についてはあまり議論が深まっているように見えないのです。
脱成長は明確に囚人のジレンマ(社会的ジレンマ)に該当するでしょう。囚人のジレンマとはお互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなることです。
確かに世界中がえいやっと一斉に経済成長を止めれば資源の浪費が止まって人類種全体の繁栄に繋がるのでしょう。しかし一つでもどこかの国が野心を持っていて、その国だけが経済成長をすれば利益を独占できてしまいます。これはまさしく囚人のジレンマであり、軍拡競争や核軍縮と同様です。
このジレンマの解決方法をまだ人類は見つけられていないと思うのです。誰だって核兵器なんか全部捨てちまえということは分かっているのですが、分かっていることが重要ではなく分かっていても止められないことが問題であり、それをどうすれば実現できるかこそが今人類に最も必要な情報です。
脱成長も同様で、実現方法が明確でないと空想的なユートピア思想と取られかねないでしょうから、専門家の方々にはどう実現するかの議論をぜひとも深めていただけると嬉しいです。
工学屋の仕事は理論屋によって研究された理論を社会の役に立つよう弄ることです。つまり「こうすれば理論的にこうなる」というベースの部分ではなく「こうすれば社会に実装できる」という部分を設計することが仕事です。だからこそ工学屋目線では「その理論をどう社会に実装するか」という実現方法が一番気になります。この社会実装部分は案外と難しくさらには泥臭い世界であり、だからこそ工学屋という専門業種がいるわけです。
世の研究所や研究室では社会の役に立つ理論がたくさん生まれています。しかしそれが全て社会に実装できるかと言えばそうでもないわけで、工学的に無理なものはどれだけ優れた理論であろうと実社会で役立つことはありません。
脱成長の理論発展を進めるのであればそろそろこの実現可能性についても議論が必要だと考える次第です。脱成長自体は良い理論だとは思いますが、今はまだ研究室のフラスコ内に存在する一理論に過ぎないと、一工学屋としてはそう感じています。
もう一つ疑問が湧いてきた
よく考えれば世界中で一斉に、というのはズルいですし無理ですね。そんなことをしたら途上国の人々はブチギレ待ったなしでしょう。「お前ら先進国は散々資源を使って発展しておいてこっちは駄目とか許されるかよ!」となるのは必然です。そうなると先進国の生活水準を途上国と同等になるまで落とすか、途上国は先進国と同等の生活水準になるまで経済発展を良しとするかです。
と、理屈はシンプルですが、やはりそれをどう実現すればいいのかと言われると難しいものを感じます。
「はい、明日から先進国の皆さんは文明の利器を捨ててください」と言われても困るでしょうし、それは結局囚人のジレンマに陥るので無理でしょう。しかし一国でやっても意味が無いことは明確です。そんなことをしてはその一国がただただ貧乏になるだけです。やるからには一斉で無ければいけません。
じゃあ途上国には先進国と同等の生活水準になるまで経済発展を許可しますよ、とした場合はどこで線引きをするのか、ズルして基準よりも経済発展をしようとする国をどう阻止するのか、ということが難しい課題として残ります。
ジレンマの解消は制度設計以外に無い
なんとも、具体的な制度設計となると難しいように感じます。人類の危機なのだからやらなければ、という理論屋の主張はとてもよく分かるのですが、その理屈が単純に通るのであればとうの昔に地球上から核兵器なんかは廃棄されているわけであって、そうはいかないからこそ難しいのです。
囚人のジレンマを解消するには人々の思想や意識ではなく制度や仕組みに頼る他ありません。思想や意識では避けられないからこそのジレンマなのですから。共有地の悲劇を避けるために外部不経済の内部化を行うように、行政政策や法規制といった何らかの制度設計を綿密に計画しないと脱成長を実現することは難しいでしょう。