忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

時事ネタに触れるようで触れない、でも少し触れる

 

 できることであればブログへ投稿する記事をストックしておいて投稿当日に誤字脱字のチェックをするようなサイクルで過ごしたいと思っているのですが、ここ最近は手が回っておらず、朝書いてそのまま投稿することが多くなっています。

 今日もそんな日です。朝からブログを書いています。

 当日書いて当日投稿するスタイルだと時事的な話題を取り上げやすくなるため、人によってはそれはそれで悪くはないはずですが、そもそも私自身が時事的な話題を直接取り扱うことをあまり好まない性格であるため、向いていないとは思っています。ちょっと語弊はありますが、換骨奪胎と言いますか、直接的なことではなく本質情報を取り出して整理する方が好みです。

 

選挙の結果は善悪ではない

 例えば今日の時事ネタとしては衆議院選挙の結果速報がど真ん中ストレートですが、これについても特に大したコメントはありません。

 素人分析をしても仕方がありませんし、そもそも私はどこの政党の人数が多かろうと少なかろうとこの結果の集合こそが民意であり、それ自体に良い悪いはないと思っています。

全部足して「民意」 - 忘れん坊の外部記憶域

 

 さらに言えば、選挙は代表者を決める投票であり、要するに生徒や学生がクラス委員長や生徒会長を選ぶのと同じです。そしてそれは善悪で判定することではないと思っています。

選挙を重く捉えすぎることの弊害 - 忘れん坊の外部記憶域

 

 人は選挙を善悪の枠でつい考えてしまいがちですが、実際は選挙の結果とは善悪ではなくただの利害です。誰が選ばれてその人がどのような選択をしようと、それ自体は善悪ではなく利害に過ぎません。

 もちろん「利が多ければ善で害が多ければ悪」だと物事を単純に捉えることもできるものの、その利害の判定は主観的であり客観的視座が欠けています。そして国政選挙のような全体の話をするのであれば客観性が不可欠です。主観的な利害とそれによって生じる善悪を基準に話をしてはこんがらがってしまいます。

 

 なにより重要なことは、選挙の結果を善悪で捉えて政治的な対立相手を攻撃するのではなく、この選挙結果に基づいてどうすれば全体としての利益の最大化が可能か、客観的な最大幸福をどのように実現するかです。

 つまりは結果という過去ではなく未来をどう描くかが肝要となります。それに比べれば結果に対する主観的な利害・善悪の判定はさほど意味のあるものではありませんので、私は特に語りません。

 

結言

 個人的な考えですが、政治家は特に、また批評家やコメンテーターも同様に、結果に応じてどのようにすべきかを考える未来志向型の人を私は信頼します。ただの結果の話を延々とするタイプの政治家や言論人は、あまり好みではありません。