正月の連休も明けましたので久しぶりに真面目なテーマで記事を書こうとヘヴィな題材の記事を朝から書いていたのですが、ほとんど書き終えたものの破棄することにしました。
そんな空っぽな状態でまた一から書き直しですが、今回はあえて破棄した理由を話題としてみましょう。
言及しない選択
私の書き方、というほどでもないただの手癖ですが、私はほとんどの記事で結論を考えずに何かしらのテーマに沿って書き始めます。文章を書いているというよりは思考を整理していると言ってもいいでしょう。目的地へ向かって積み重ねていくのではなく手探りで進んでいくため、自分でも意外な結論に辿り着くことが多々あります。
今回は「戦争」に関連する事柄について書いていたのですが、文字を書き連ねていくうちに、個人的には好ましくないあまり結論、どちらかと言えば戦争を肯定的に取り扱いかねない見解へと至ったため、投稿せず削除することにしました。
こういったことは毎日ブログを更新して様々な事柄について何かしら思索し続けていると時々起こります。そしてその場合、私はいつもその書きかけの記事を削除することで対処しています。
これは学問的には不誠実な態度かもしれません。
ただ、このブログは私が言及したいものを言及していくブログです。
予算をいただいて研究をしている人であれば研究結果を詳らかにする責務を持ちますし、思想家や政治家など自らの見解を喧伝することを職務としている人間であれば思考を言葉にして発信する必要がありますが、このブログはそうではありません。
私は私が述べたいことだけを述べる自由を持っています。
よって述べたくないこと、不快な事実や不都合な見解はブログで公表することを選択せず、自らの内で理解するだけに留めます。
SNSなどでは思ったことを全て詳らかに喧伝するような方もいらっしゃいますが、私はそういった仕草を自らしたいとはあまり思っていません。語るべきことは語るべき人が語ればよく、時と場所と相手を選んで妥当な発言をすることを好みます。
結言
つまり、このブログは日常の延長にあります。
誰だって「言葉にして問題ないこと」と「言葉にしたら問題になること」を識別して日常的に言葉を選んでいるものであり、それをブログでもやっているだけのことです。
インターネットと言えども言葉は選ぶ必要があると思っています。思ったことをなんでもかんでも口にしてしまうのは、まあ大人の仕草ではないでしょう。少し辛辣な表現ではありますが。
以前ある若者に言われた「ネットに書いていいのは大きな声を出して駅のホームで言っても問題ないことだけにすべきだ」は常に心掛けています。