忘れん坊の外部記憶域

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マイクロプラスチックを過剰に恐れる必要は今のところない

 

 ニュースサイトを眺めていたら、久しぶりにマイクロプラスチックに関するニュースを見かけました。大雑把にまとめれば、「日常生活をしているだけでもこれだけのマイクロプラスチックを体内に取り込んでいる!」と煽る類の記事でした。

 マイクロプラスチックが体に悪いことはもはや前提であるかのような記事に、少し暗澹たる気持ちになります。

 

科学的な誠実さ

 その記事では「肉にも魚にも、水道水にすらマイクロプラスチックが含まれている!」「加熱するだけでもマイクロプラスチックが!」「包装容器や台所用品、スポンジにだって含まれている!」と、マイクロプラスチックが日常生活に蔓延していることが長々と書かれていました。

 そして記事の最後の最後で、「マイクロプラスチックが人体にどのような影響を与えるかはまだ明らかになっていません」「腸内におけるマイクロプラスチックの健康への影響に関するこれまでの研究は決定的な結論が出ておらず、ヒトを対象とした研究もほとんど行われていません」と書かれており、じゃあここまでの煽りはなんだったのかと思うような記事構成でしたので、少しズルい記事でした。

 

 実際のところ、マイクロプラスチックのリスク評価はまだ未確定です。様々な懸念は発見されているものの、実際にどの程度の量が危険になるかは分かっていません。

 そして有害性のリスク評価は結局のところ”量”の話が分からないことにはどうにもなりません。極端な話になってしまいますが、水ですら大量に摂取すれば毒になる以上、「肉にも魚にも水道水にも水が含まれているから危険だ」という話にはならないように、マイクロプラスチックもそれが例え有毒であったとしても最終的には"量"のリスク評価が定まるまでは態度を保留することが科学的に誠実でしょう。

 少なくとも、過剰に恐れる必要は今のところありません

 

リスクの天秤

 「とはいえ危険な可能性がある以上、なるべく排除することが適切ではないか」と考えること自体は妥当な発想です。有毒性が見つかっているプラスチックの使用を削減することは必要ですし、資源消費自体を抑えることも効果的な活動と言えます。

 ただ、予防原則を過剰に適用してドラスティックなプラスチックの削減を謳うことはあまり妥当ではなく、反対側のリスクも同様に評価して比較しなければなりません。プラスチックの使用を急速かつ直ちに減らせば安全サイドに寄るか、そういったリスク評価です。

 

 プラスチックは現代社会を支える優れた素材です。

 安易にプラスチックを減らした場合のリスクをいくつかピックアップしてみましょう。

 まず、食品や衛生分野のリスクは確実に増加します。

 プラスチックほど密閉性に優れた素材はそう簡単に代替できるものではなく、プラスチックで保護しなければ食品の腐敗・微生物汚染のリスクは増加し、食品廃棄量の増加とCO2排出・水資源・土地利用の悪化が引き起こされます。その他の再利用容器では衛生管理が難しく食中毒リスクが上昇するでしょう。注射器や点滴など医療用プラスチックは代替困難ですし滅菌性や耐薬品性も劣ることから院内感染リスクが増加します。

 輸送・物流分野でも問題が起こります。

 硝子や紙などの代替容器は重量増加を引き起こして燃料消費の増加に繋がりますし、破損リスクが高まって廃棄ロスが増える結果をもたらします。

 代替素材による環境負荷も見過ごせません。

 紙資源の使用量を増やすと森林伐採や水消費、化学的な処理工程での環境負荷が増加します。金属は採掘や精錬でCO2排出が多くなりますし、バイオプラスチックは食糧生産と競合します。いずれにせよスケール拡大は慎重に進めなければなりません。

 代替素材はそれ自体が高価で、生産・包装・物流コストが上昇します。価格転嫁による消費者負担が増加して経済にダメージを与えることになるでしょう。雇用や産業構造にも大きな影響を与えます。

 社会的なリスクも増加します。

 軽量・耐水・高耐久・安価な素材を使わないことで、間違いなく生活の利便性は低下し、公衆衛生も悪化します。"使い捨て"は悪のように思われがちですが、公衆衛生の面では非常に効果的だからです。

 他にも上流側の産業では、農業のようにプラスチックのおかげで収量や水利用効率が改善されていた産業は後退します。下流側の産業でも廃棄物の不法投棄やリサイクルの複雑化が生じて環境負荷を高めます。

 

 以上のようなリスクがある以上、安易に「危ない物質のようだから使うのは止めよう」と考えると、手痛いリスクを背負うことになるでしょう。

 

結言

 繰り返しとなりますが、過剰に恐れる必要はありませんし、ドラスティックに変革する必要もありません。科学的な誠実さを保ち、事実とリスクを分析し、着実に対処を進めていけばいいだけの話です。

 慌てて行動しても安全に近付けるわけではありません

 動物は危機に直面したと感じた時、とにかく行動することが安全に繋がると本能的に感じるものですが、それは天敵を持つ野生動物の本能であり、現代社会で必ず有効な本能ではないのですから。

 

 夜道を歩いていて、ふと耳慣れない音を聞いたので、びっくりしてガムシャラに走り出したとしましょう。

 その音が犯罪者の足音で、飛び出した先が住宅街であれば成功です。

 その音がビニール袋が風に流される音で、飛び出した先が道路であれば大ピンチです。

 個人の判断であればそういった運否天賦に任せるのも悪くはありませんが、社会の意思決定までそうすべきではありません。倫理的に考えて、私たちは安全の最大化を図ることが必要です。

 よって真に安全を求めるのであれば私たちは「直面した事態」と「逃避した先の状況」を天秤にかけてから行動すべきであり、「とにかく危険そうだから」と安易に禁止するような愚行は避けるべきだと考えます。