私「この企画ではこれだけの費用が掛かる想定です」
上「分かった、じゃあこれだけの予算を取ろう」
後日。
上「これこれこういうのも追加したい」
私「ええと、では再見積を取ってみます」
後日。
私「再見積の結果、予算をオーバーしそうです」
上「なんとか予算内で進めてくれ」
典型的なパターンだと思います。
ちなみに、予算オーバーが確定したとしても『一部を翌年に持ち越すことでなんとか予算内に収める』方向で合意が取れているので、そこまで問題ではありません。
なんとなく典型的なパターンだったので面白かっただけです。
トリレンマ
実際問題、費用と機能と時間はトリレンマですので、予算を追加して成り立たせるか、スコープを削って予算内に収めるか、スケジュールを延長して時間で吸収するか、などの方策をもってしてどれかを犠牲にする他ありません。今回は時間で吸収することにしました。
まあ、もっと上のほうが時間厳守を言ってきたら、予算の交渉をしましょう。
ありがちパターン分析
「これを増やせ」と要求は増えるが、納期は変わらない。
「任せる」と言いながら、細部まで口を出してくる。
「早く帰れ」と言いながら、仕事量は減らない。
「相談して」と言われるが、相談すると怒られる。
「前例がないから駄目」→「イノベーションが不足している」
「資料は簡潔に」→「説明が足りない」
ありがちな社会の理不尽はいくらでも思い付きそうです。
これらはビジネス誌やコラムなどで言われているように、「責任と権限の非対称」「スコープが不明瞭」「インセンティブ設計の不備」「心理的安全性の欠如」「意思決定者の責任回避」などで説明が付くでしょう。
この手の理不尽は『それをする個人の責任』に思われがちですが、個人的には組織の構造的な問題だと思っています。
単純に考えて、"あるあるネタ”になるくらい各所で生じているのであれば、それは個人の性格なんて局所的な原因ではなく、社会や組織の構造に原因があると考えることが妥当でしょう。
そもそも世の中とは理不尽なものです。
ありとあらゆる人にそれぞれの理があり、それらが押し合い譲り合いながらまとまっているのが社会や組織です。そんな中で、誰もが理を通そうとすれば誰もが他者の理を押し付けられることになるわけで、一対多数の理の押し合いに勝てる個人はそうそういません。それは無理です。
よって個人の理を通したいと願う普通の個人にとって、世の中は理を通し通せない”理不尽”なものとなります。こればかりは構造的な問題です。
世の中とはそういうものだと諦観するか、他の全ての他者に理不尽を振りまいてでも己の理を押し通そうとするか、或いは妥協と調和によって理をやり取りするか。
正解はありませんが、納得するためには自らで道を選ぶ必要があるでしょう。
結言
個人的には、諦観して受け入れた上で己の理を適宜適応することが効率的だと考えます。
自身の理と他者の理がぶつかり合うからこそ理不尽が生まれるのであって、他者が合意できる形に自らの理を整えることができれば理不尽も摩擦も生じません。
自らの理を変えることはそれなりに慣れと訓練が必要だとは思いますが、理を通したい個人の戦略としては合理的ではないでしょうか。