忘れん坊の外部記憶域

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新卒一括採用や終身雇用は絶対悪なのか?

 現代の日本社会やビジネス界隈の一部では新卒一括採用終身雇用が蛇蝎の如く嫌われているような印象を持っています。

 私個人としてもこれらを理想的な雇用形態だとはまったく思っていないのですが、かといってこれらを全部ポイっと捨ててしまえば万事解決、世は事も無し、となるかと言えばそうではないと思います。世の中に惰性で続くものはなく、傍目には惰性に見えるかもしれない多くの事柄には何らかの利点があるからこそ継続されているものです。

 

変革における考え方

 物事における利点と欠点の量は時勢によって変化するものであり、かつては利点が上回っていたとしても現代においては欠点が勝るということは往々にして起こります。いつまでも同じやり方が通じるわけはなく、利得の損益分岐点を超えたのであれば物事のやり方を変革することは不可欠です。よって新卒一括採用や終身雇用を見直すことには大変賛成しています。

 但し、物事の変革に際しては元のものが持っていた利点をどうすれば継承できるかということを重視したほうが良いとも考えます。たとえ欠点のほうが多かろうと全部まとめてポイっと捨ててしまっては元々持っていた利点までも廃棄することになり、それはもったいないです。

 これが食品や果物であれば、一部が悪くなってしまったら丸ごと捨てて新しいものを買ってくるという選択肢もあるでしょう。

 しかし物事のやり方というものにはたとえ最新の手法であっても必ず利点と欠点が共存しており、完全無欠、完璧なものは存在しません。そのため毎回全てを捨てていては利点やノウハウが蓄積されていかず、独自性を育てることができなくなってしまいます。ただ古いものを全て捨て去って真っ新な状態で新しいものを他所から持ってきたとしても、その新しいやり方は誰もが知っているやり方であって、競争優位が無いのです

 重要なのは古いものから利点のみを抽出し、新しいものと組み合わせて用いることです。そうすることで初めて世間に膾炙している『ただの新しいやり方』ではなく、独自色を持った特徴的で競争力のあるやり方へと変貌させることができます。

 

 また、丸ごとポイっと古いやり方を捨てる場合、どうしても抵抗勢力との衝突が避けられなくなります。たとえ時代の変化によって利点が少なくなろうともそのやり方に利点があること自体は事実であり、それを固持したいと思う人もいるからです。

 例えば、ミカンの一部が悪くなってしまったからといって箱ごと捨ててリンゴを買いに行こうと言えば、「それはもったいない、まだ食べられるミカンがある」という意見が出るのは当然ということです。これはもう価値観の違いであり、無理矢理に箱ごと捨てようとしては組み付いてでも抵抗してやろうという勢力が絶対に出てきます。

 とはいえ悪くなったミカンをそのままにしておいてはお腹を壊す人が出るかもしれませんし、いずれ全部のミカンが悪くなってしまうかもしれません。そもそもミカンが好きな人もいれば、リンゴが好きな人もいます。だからこそリンゴを買いに行くという選択は不可欠です。

 であればやることは単純で、ミカンを箱ごと捨てるのではなく、悪くなったミカンを選んで捨てればいいのです。そうすればミカンが好きな人はお腹を壊すことなくミカンを堪能できますし、リンゴが好きな人は抵抗されずに気兼ねなくリンゴを買いに行くことができます。ミカンとリンゴのどちらも取り扱うことができるとして、独自色や他所との差別化もできるでしょう。

 このような路線のほうが、ミカンを捨てるかどうかで抵抗勢力と殴り合いを続けるよりもよっぽど建設的だと思います。

 

利点を抽出し、組み合わせる

 例として出した新卒一括採用や終身雇用は確かに時代遅れの古臭いやり方です。現代のビジネス速度にはまったく適していないと思っています。

 しかし新卒一括採用には「学生のスキル差を少し大目に見る格差緩和」、終身雇用には「長期的な目線での人材育成」という機能があり、丸ごとポイっと捨てて欧米式を採用してしまっては欧米における格差社会の異常な拡大という問題ごと日本に導入してしまうことになりかねません。先進国の中で日本の格差拡大が緩慢な速度に済んでいるのは新卒一括採用と終身雇用が一役買っているのです。

 とはいえ新卒一括採用は再チャレンジの機会を奪っていますし、終身雇用は雇用の流動性を損ねています。どちらも現代の速度には合っておらず、見直さないという選択肢は有り得ません

 よって考えるべきは、新卒一括採用と終身雇用を絶対悪として丸ごとポイっと捨てるような方策ではなく、これらが持っている機能を補完する新しいやり方です。

 

 実のところ、新卒一括採用についてはすでに少しずつ改善されてきています。欧米的に「いつでも採用します」としてはスキルが無い人にとても厳しい社会になり格差が大きくなってしまいますが、新卒一括採用では再チャレンジの機会が無さすぎる、その間として、双方の利点を取り入れた第二新卒市場の拡大が進んでいます。

 第二新卒市場では多少のスキルを持ち社会に慣れた若手を企業は採用しやすくなり、若者にも再チャレンジの機会が増える、格差緩和としての機能は維持したまま雇用の流動性を拡大し、企業と個人のアンマッチも避けやすくなる、これは実に良いやり方だと言えます。

 

 終身雇用には今のところ適切な施策が無いまま廃止の方向に進んでいってしまっているため、最適なやり方の模索が早急に必要です。ただ終身雇用を廃止するのでは人材育成という機能をも損ねることとなり、「すでに特別なスキルを持っている優れた人」には良いのですが「特別なスキルを持っていない普通の人」が苦しい環境となり格差が広がってしまいます。

 そもそもの誤解として、海外企業は人材育成をしないわけでも豊富なわけでもありません。海外企業において教育の機会を与えるのは「自社に定着してもらいたい人材」です。終身雇用とまではいかないまでも、長く勤めて能力を発揮してもらいたい人材には充分な教育を与えるのです。教育を受けられるというのは一つの福利厚生という見方をすることができます。

 よって終身雇用を完全に廃止して「いつでも出ていっていい、その代わり教育投資はしない」というような極端に走るのではなく、「うちに勤めればこんなに教育を受けることができるから、ぜひとも入社して長く勤めて欲しい」というような、教育を一つのアピールポイントとするやり方に転換するのが良いのではないでしょうか。それであれば雇用の流動性を高めつつ、企業としても人材育成をするインセンティブが働きます。対象を極端に選別しない日本的な格差緩和も活かすことができるでしょう。

 

結言

 新しいやり方というのは古いやり方を更新してより良くしたものであることは事実であり、だからこそ新しいやり方の導入は絶対に必要です。しかし古いやり方を全て捨ててしまえばいいかというとそうではなく、そこにある利点までも捨ててしまうのは勿体ないことです。

 古いものからは利点のみを抽出し、新しいやり方に取り入れる。もちろん毒だと分かっていてもかっ食らわねばならぬこともありますが、基本的にはドラスティックな変革ではなく、融合し、調和を取りながら進めていく。それはゆっくりとした速度ではありますが、そのようなやり方こそが穏便で堅実な進歩の下支えになるのではないでしょうか。