一体何を報告しているんだ?
エコバッグを買いました
先日、エコバッグを買いました。
それ以上でもそれ以下でもなく、ただエコバッグを買いましたというだけの話です。
エコバッグを買いました、というセンテンスをこんなに連続して出すほどエコバッグを買ったことは重大な出来事ではありません。
実のところエコバッグに関しては今まで積極的ではありませんでした。
「エコバッグは製造に用いる石油だけでなく原材料の生産・輸送・加工・廃棄まで含めたライフサイクルアセスメントを考慮すればエコでもない場合が多い、実際にエコへ貢献できているエコバッグのみが販売されるべきであり、ちゃんと設計されずに資源を無駄遣いしているエコバッグはグリーンウォッシュであり批判されるべきだ」
なんて思っていたりしたわけです。
そんな私がエコバッグを買ったのは屁理屈を捨てたためではなく、もう少し現実的な理由によります。
それは単純に、あると便利で、無いと不便だからです。
無いと不便
今までは車が無ければ生活に支障を来たすようなところに住んでおりスーパーも遠かったため、買い物は休日にまとめてドサッと買い込んでいました。
そのような購入形式だといくつものエコバッグを持ち込むのは不便ですし、ビニール袋がゴミ袋として再利用できる地域でもあったため、スーパーでビニール袋を購入することが現実的で合理的な選択でした。
今は少し事情が異なります。
東京へ越してきた際に愛車を手放したうえ、買い物は帰宅途中に徒歩で最寄りのスーパーへ行くようになったため、週に一度まとめ買いをすることはむしろ現実的ではありません。持ち切れる量を考えて数日おきに買い物をする必要があります。その度にビニール袋を買っていてはお金が掛かり過ぎますし、買い物をして徒歩で帰っている時にビニール袋では中身が丸見えなのも少しイヤです。
つまり、こまめに買い物をして徒歩で持ち帰る生活様式となった結果、少量でも買い物がしやすく徒歩で持ち帰っていても中身が見えないエコバッグのほうがビニール袋を購入するよりも現実的で合理的な選択肢になった、それがエコバッグを買った理由です。
普及させるのであれば、普及できる形で
当ブログで度々述べてきたことではありますが、新しい概念や物事、仕組みや理論を世に普及させるためには、意志の力だけに頼るのではなくそうすることが現実的で合理的な状況にすることが最適です。
例えば、なぜ化石燃料の使用量が減らないかと言えばそれはとても単純な話で、化石燃料を代替する技術がまだ不十分だからであり、人の意思(will)だけではどうにもならないからでしょう。
もしも化石燃料よりも安価で持続性が高いエネルギー源が発明されれば、それこそあっという間に社会変革が進んで化石燃料は使われなくなるはずです。
畜産や肉食も同様です。それ以外の安価で環境に優しく美味しいものが開発されれば、やはり人々はそちらに流れていくことでしょう。
どれだけ崇高で理想的なことであっても、それをすることが苦しく茨の道であっては絶対に普及しません。それができない人をいくら責めても無意味であり、一部の意志が強い高潔な人間だけが実施できる理想論に成り果てて社会の分断を招くだけの結果に終わります。
無理な状態で無理にやろうとしても、そのような無理はいずれ耐え切れずに崩壊します。何かを人々に普及させるためには弱い人間であってもそれをすることが可能な状態にまで落とし込むことが必要です。
結言
エコバッグを買っただけの話とは思えない話の逸れ方になりました。