技術系の人間が何かを説明する時、よく陥る問題があります。
それは、物事の原理を説明していこうとすると逆に専門性が高まっていって難しくなることです。
もちろん学術的に深掘りしていけば難しくなるのは当たり前ですし、深掘りしていけばいくほど厳密さが重要になってくるので専門用語が増えたりするのは仕方がないことではあります。
どこまで噛み砕いて説明できるか、それはある意味で技術者の腕の見せ所かもしれません。
と能書きを垂れつつ、説明が下手な技術者の一例をこれからお見せしましょう。
打ち水
今回は打ち水をテーマとします。
打ち水は私の生息している業界であるHVAC&Rでも時々耳にする言葉で、「エアコンや冷蔵庫はどうやって冷やしているの?」「打ち水やアルコール消毒で冷えるのと同じ原理です」といったやり取りが典型例です。
よくよく考えると、これが説明になっているかは微妙なところです。そもそもの前提として『なぜ打ち水やアルコール消毒で冷えるのか』について知っていなければ分からないのですから。
この理屈を一言で言えば「気化熱」なのですが、そもそも気化熱とは何かを知らなければやはり意味はないわけで、意外と説明は難しかったりします。
簡単な説明
そんなわけで打ち水をすると涼しくなる原理を簡単に説明してみます。
一言で言えば、「水が蒸発して大気の熱を奪っているから」です。
これを気化熱と言います。意味はそのまま、液体が蒸発(気化)する時に奪う熱だから気化熱です。
打ち水は冷たい水を撒いているから冷えるのではなく、水が蒸発する時に熱を奪うから冷えます。そのため打ち水に使う水は温い水でも大丈夫です。冷たい水の入手手段が限られていた時代から活用されてきた、素晴らしい生活の知恵だと言えます。
ちなみにアルコール消毒でひんやりする理由や風呂上がりにちゃんと体を拭かないと体が冷える理由も同じです。アルコール消毒でアルコールを塗るとアルコールが蒸発して体温を奪いますし、風呂上りにちゃんと体を拭かないとお湯が蒸発して体温を奪っていきます。
液体が蒸発する時は熱を奪う。
これだけ覚えれば大丈夫です。
少し難しい説明
前提として、熱と温度の話をします。
この違いはどうしても理解しておかねばなりません。
熱と温度は似たような言葉ですが、大雑把に言えば熱はエネルギーのことで温度は温かさや冷たさを数字に表したものです。
物質の温度は熱エネルギーの量で決まります。細かい話をすれば分子の運動エネルギーがどうたらとなりますがそんなことは頭の片隅にでも置いておき、物質の温度が変化する時は熱エネルギーが出入りするとだけ覚えればいいでしょう。
この温度変化を難しい言葉で顕熱変化と言います。
その対となる現象として潜熱変化というものもあります。
物質は「固体・液体・気体」の三相を代表に様々な状態へと変わることができますが、状態が変化する際にはエネルギーが必要です。
これはお湯を沸かすことを考えれば分かりやすいでしょう。鍋やヤカンに液体の水を入れてコンロで熱する、つまり熱エネルギーを与えると液体の水は沸騰して気体の水蒸気へと変わっていきます。逆に冷凍庫へ液体の水を入れて熱エネルギーを奪ってあげれば水は固体の氷へと変わっていきます。
物質の状態が変わる時には熱の出入りがある、これも重要なポイントです。その時に出入りする熱の量を潜熱と言います。
さて、打ち水です。
せっかくなので雑に図示してみました。
まず①。
これは地面に水を撒いたばかりの状態です。
大気の温度が高いのは太陽からさんさんと降り注ぐ光エネルギーによって大気や地面が温められているから、つまり熱エネルギーをたくさん持っているからです。昨今では都市化によるヒートアイランドで別の熱源からも熱を与えられていますが、なにはともあれ熱を一杯持っているから温度(気温)が高くなります。
次に②。
日本は湿度の高い土地ですが、それでも相対湿度の平均は70%RHくらいです。よって大気にはまだまだ水蒸気の入る余地があります。ちなみに温度を上げなくても部屋干ししている洗濯物が乾くのも、部屋に湿度の余裕がまだまだあるからです。
そして水は放っておけばどんどん蒸発していきます。水の蒸発というと100℃での沸騰をついイメージしてしまいがちなものですが、液体は別に沸点より低い温度でも蒸発します。
水が蒸発して水蒸気へと変わる時は、鍋やヤカンでお湯を沸かす時と同様に熱エネルギーを受け取って潜熱変化します。つまり、打ち水で撒かれた水は大気の熱を受け取って蒸発していきます。
最後に③。
これはもうシンプルに、大気の熱エネルギーが水の蒸発に使われたため、熱エネルギーが減った分だけ温度が下がる、そういった図です。
これを一言で言えば、「水が蒸発して大気の熱を奪っているから」となります。
もっと難しい説明は省略
少しだけ厳密な話をしましょう。
例えば「なぜ熱エネルギーを受け取ると蒸発するか」を理解するためには熱力学的平衡や初歩的な分子論の概念が必要になります。
物質は分子の集合であり、その分子の結合度合いで状態が決まります。よって液体の水の結合を切り離して気体にするためにはそれだけ外部からのエネルギーが必要であり、外部からの吸熱エネルギーは分子の結合を切り離す運動エネルギーに変換されます。
と言うと難しそうに聞こえますが、要するに事象は安定的な状態を好むというだけの話です。「水の低きに就くが如し」のように、事象は何も無ければ不安定な状態から安定した状態へと進んでいきます。そして水は飽和に至るまでは蒸発したほうが安定します。ただそれだけです。
その先の疑問、「なぜ物質は安定した状態へと遷移するか」であればエントロピーや統計力学の理解が必要になりますし、さらに疑問を進めていって「なぜ現象は確率に従うか」まで行くともはや説明することすら難しくなるでしょう。
結言
まとめてみます。
「打ち水をすると、蒸発したがっている水が周囲から熱を奪って蒸発するので、熱を奪われた大気の温度が下がって涼しくなる」
こんな感じでしょうか。身近な現象ですが立派な熱力学的現象です。
なぜそうなっているかを数回繰り返すだけで現代の科学では難しい領域にまで疑問を進めていくことが可能です。だからこそちょっとした疑問への回答を深掘りしていくとあっという間に説明が難しくなります。
もっと上手く噛み砕いて説明できるよう、鍛錬していきたいものです。
余談
この手の現象に関してだと『スプレー缶を使うと冷たくなるのはなぜか』の説明が意外と難しいのではないかと思っています。
あれは「缶そのものが冷たくなる理由」と「出てくるガスの温度が冷たい理由」は別々の熱力学的現象でして、前者は単純な断熱膨張による温度変化ですが、後者はジュールトムソン効果による温度変化です。
熱力学は身近な現象を説明するのに役立ちますが、身近な科学現象は意外と奥が深くて難しい、そんな感じです。