忘れん坊の外部記憶域

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wokeは伝統とどう向き合うべきか

 woke(目覚め・覚醒)はここ10年内にアメリカで流行っている言葉で、社会的不公正や人種差別、性差別などに対する意識が高いことを意味します。日常に存在する社会問題に対して積極的に働きかけて社会正義や人種的正義を実現することを目指した考え方です。

 私としても理不尽な差別や偏見は嫌いですし、全体主義よりは多様性があるほうが好みですので賛同できる点が多々あります。

 ただ1点、「Stay woke」「wokeであろう」という活動から一線を越えて「wokeでなければならない」「アップデートしなければならない」という急進的な活動だけは控えてほしいと考えています。それは多様性とは正反対にある態度です。民主主義国家で物事を変えたいのであれば徐々に賛同者を増やしていく姿勢が必要です。

急進派が穏健派の支持を得られない理由

 wokeな人々が変えたいものは伝統的に継続している社会的不公正や性別・人種に関するものが主です。伝統に対する考え方は過去の記事で述べたように保守派と進歩派に分かれます。 

 「stay woke」の運動を広げるにあたり、woke穏健派は伝統保守派と良い関係を築いて支持者を増やすことができます。伝統保守派は伝統を固持することが目的ではなく、伝統をより良くできるのであればそれを受け入れるためです。

 対してwoke急進派は伝統保守派の支持を得ることはできません。woke急進派は「wokeでなければならない」とする姿勢であり、wokeが正対する伝統という概念そのものに価値を認めていないためです。そのため急進派と保守派は対立構造を持つことになります。

 この対立構造は価値観の違いによるものであり、良し悪しではありません。困ったことに良し悪しでは無いからこそ対立せざるを得ないのです。

 そのような場合に発生するのが相手側の悪魔化、つまり善悪の決めつけです。良し悪しではない価値観の違いを良し悪しの問題にすり替えてしまうわけです。悪魔化については過去の記事でも書きましたが、「相手は悪だから叩いてもいい、叩くべきだ」という考えです。

 伝統的なものは悪であり、よって伝統を墨守する人は叩いてもいい、叩くべきだ、という考えに急進派は行き着く危険があります。そのような暴力性を纏ってしまった場合、穏健派の支持を得ることはまず不可能となります。民主主義国家において支持を得られない状態、つまり多数派を形成できない場合は当然ながら自らの主義思想を推進することができなくなります。その結果、社会が悪いと革命的な過激思想に発展する危険性が高まるため、急進的な考え方はやはり控えめにしていただけるとありがたいです。

新しいものは良い? 

 新しいものが良いかどうかというのは常々問題にされるべきです。アプリやサービスだってアップデートしたから良くなるとは限らないでしょう。特に使い勝手に関わる部分は変更することによって改悪されることもあります。なんでもかんでも新しければいいというわけでもありませんので、物事を変える場合には民主的な手続きに則って徐々に賛同者を増やすような活動が優先される世の中であってほしいものです。woke自体は良い方向に向かうための改善活動であり、保守派と議論を重ねて世のためになる妥協点を見出して欲しいところですので、急進的な思想がその妨害とならないことを望みます。