若年層の投票率が低いことに関して、それを問題視する意見を各所で見かけます。
ただ、それは少し短絡的な問題提起です。若年層の投票率が低いことそれ自体は事象に過ぎず、投票率が低いことによる悪影響や投票率が低い原因を特定して問題としなければなりません。
それこそ『若年層の投票率が低いこと』を直接的な問題とした場合、解決策は簡単でシンガポールやオーストラリアのように罰則を設けて義務投票制とすればいいだけです。そうすれば必然的に投票率は高まります。若者は嫌々ながらも投票所へ行って何も考えずに適当な候補者へ票を投じることになるでしょう。ただ、それに意味があるかと言えば議論の余地がありそうです。
問題の深掘り
若年層の投票率が低いことを問題視する人は、実際には投票率そのものではなく若年層の政治参画への意識や程度が問題だと考えている場合が多いでしょう。投票率はその結果的な事象に過ぎず、直接的な問題ではありません。
つまり問題とされるべきは投票率の低さではなく若者の政治に対する当事者意識です。
次に、なぜ若者の当事者意識が低くなっているかを考える必要があります。意識が低いことを指摘して無理やり強制しようとしてもやはり意味がありません、必要なのは原因の特定と対策です。
若年層の投票率が低い理由は様々な分析がされています。
例えば低所得による影響はそのうちの一つです。低賃金労働へ明け暮れている若年層は教養娯楽費へ出せる支出額に制約があり、そして教養娯楽費と投票率は一定の相関を持っています。年配者からすれば「所得が低いのは社会的問題であり、むしろ投票へ行って政治を変えるべきだ」と考えるでしょうが、低賃金によって日々の余裕が無いことで当事者意識を持つための機会が入手出来ていないと捉えれば、単純に若者へ啓発すれば何とかなる問題ではないことが分かるかと思います。
また世帯構成の変化も投票率と相関を持ちます。核家族化の進行は家族での投票機会や家庭内での政治教育機会を損ねるためです。親が投票へ行く家庭での子どもの投票率は高くなるものですし、投票意識の高い高齢者と同居している場合は高齢者と一緒に投票所へ行き自身も投票します。つまり現代のように世帯の分離が進んでいることが年々投票率が下がっている理由の一つであり、そしてこれも所得と同様に若者の意識問題だと単純に視るのは誤りです。
他にも都市化による地域社会との繋がりの低下、すなわち自治体等の小中規模での政治参画機会の喪失や、博物館や図書館など公共機関での娯楽機会の低下による公共意識の低下、言い換えれば娯楽の多様化が投票率と相関があると分析されています。
これらはいずれも若者が原因ではなく、社会構造の変化に伴う影響です。
要するに昔の若者に比べて今の若者が愚かであったり無知であるわけではなく、若者が当事者意識を持てなくなる社会を維持構築してきた私たち大人にこそ責があると言えます。
結言
若者の投票率が低いことは若者を叩けば簡単に解決するような問題ではありません。若者の投票率問題は意外と根深く、解決は難しいものです。
一朝一夕で解決できる問題ではありませんが、まずは時代によって失われてきた”政治に関わる機会”を増やすことが必要で、そのためには若者が政治に関連する事柄へ時間と金銭を支出できる程度に余裕を持たせることが肝要となります。
余談
資産を最も持っている層は高齢者層であり、そしてちょうど高齢者層は政治参画意識も高くあります。よって極論ですが高齢者が資金と時間を供出して若者に政治的機会を与えることが一つの解決策となりそうです。
もちろんそれが適切かどうかは議論が必要でしょうが。下手を打てば資金供与団体からの洗脳や傀儡化が生じますので。